A vanishing word, a vanishing place.

そしてまたここにたどり着く。

It's a minefield, so it's off-limits.

 今年も8月12日がやってきた。僕は別に犠牲者の家族でもなければ、知り合いに犠牲者がいるわけでもない。しかし8月12日という日は、当時12歳の僕にしっかりと刻み込まれた。けれど、毎年追悼のなにかを述べているわけでもない、むしろひとりで忘れないようにしているだけであった。

 僕は一時期羽田に住んでおり、整備場のある施設でアルバイトをしていた。アルバイトに受かり、初出勤のその日。僕だけではなく、他のフロアや施設での初出勤の者たちが一箇所に集められた。羽田空港関連施設で働くにあたっての研修です、そんな風に聞いて連れて行かれた場所は、第2総合ビル2階にある『安全啓発センター』だった。そこは資料館のようなもので、日本空港123便墜落事故機の後部胴体や尾翼の残骸、後部圧力隔壁、ボイスレコーダー、フライトレコーダー、破壊されたエコノミークラスの座席、救命胴衣、事故に関する新聞記事、事故の様子を捉えた写真、そして犠牲者の遺品が展示されている。また膨大な事故原因の調査ファイルなどが図書館のようにずらりと並んでいた。僕のアルバイト先は同じビルに入っているものの、日本航空ではなく、航空機器の会社であった。それでも、そこに皆行った。末端のアルバイト、でも、だ。空港や航空に関わって働く者、これを忘れるべからずという強い意思を感じる研修だった。

 そして今年、ある演劇を観に行った。NODA-MAP『フェイクスピア』。大好きな白石加代子さんが出るというし、高橋一生の舞台ってのも観たことないしな、と、なにも前情報無しに観に行った。

 もう公演が終わっているので遠慮なくネタバレさせてもらうが、恐山から始まる少しコミカルな舞台は、高橋一生のセリフにより僕をだんだんと緊張させた。記憶喪失の高橋一生の役が不自然に発するセリフ、それは高濱機長の遺された声であった。それに気づいたとき、僕は全身に鳥肌が立ち、即座に席を立とうかと思った。あれはこんな風に役者の声で聞くものではない! と。それでも、もしかしたらただ単にネタとして使われているのではないのかも、と信じて観続けて、それは裏切られた。123便の最期を、安全啓発センターで見聞きした事実とリアルを、不自然に盆の上で再現しようとしたものだった。墜落時の表現をキャスター付きの椅子で右往左往することでなにが解るというのだ。僕はあまりの怒りに涙を流した、こんなものだと知っていたら観に来ることもなかった。僕はカーテンコールで拍手をせず、席を立った。開演前にパンフレットを買ったことを後悔し、1pもめくらなかったそれは、これから観に行くという人に郵送で譲った。とにかく、手元に置いておきたくなかった。

 僕はこの演劇を許すことができなかった。なにより、36年前にテレビで見聞きしたもの、その後新聞や事故写真集で見たもの、なによりも安全啓発センターで見聞きした事実以上に、こんな余計なノイズはいらないと思った。演じて伝えるものではないと思った。野田秀樹だから、彼は悪趣味だからで、許すことはできなかった。何年も前に同じようなものを公演しているとかどうでもよかった。僕の記憶からこの演劇のすべてを消し去りたかった。観てしまった事実は変わらないけど、できる限りなかったことにすることにした。

 そして、今日が来た。
 僕はなかったことにしたものをここに記すことにした。
 今年だけは、ひとりで静かに安全を願い、追悼することをやめた。

 36年経った今、安全啓発センターは移転し、少し規模も大きくなったようだ。現在はCOVID-19のため一般公開はしていないが、平日なら予約さえすれば訪れることができる。あんなものを観るよりは、あんなもので知るよりは『安全啓発センター』に行って欲しい。昨日今日公開されているニュース記事を見て欲しい、そして正しく知ってほしい。さらには、飛行機に乗る時は、客室乗務員の指示に従い、安全のしおりをちゃんと読んで欲しい。

 できることならば、小平尚典氏の4/524 日航123便御巣鷹山墜落事故写真集』を読んで欲しい。いまならKindle Unlimitedで無料で読める(ただモノクロであるとはいえ、あまりに凄惨な事故現場と犠牲者、そして生存者のありのままの姿が記されているので、注意してほしい)。
https://www.amazon.co.jp/dp/B00ZZ5BDJW/ref=cm_sw_r_tw_dp_6SGJ5GGPA97S4545FRVN

 もう少しライトに、というのであれば、御前モカ氏の『CREWでございます』シリーズを読んで欲しい。新刊も8/16に出る予定だ。

Amazon.co.jp: 御前 モカ:作品一覧、著者略歴

 本を買うのはちょっと……というのなら、ご本人が公開しているのでこの回だけでも読んで欲しい。

 
 あと1時間もせずに、18時56分27秒92 がやってくる。
 どうか今日も空が安全でありますように。
 この日のことが正しい形で語り継がれますように。