A vanishing word, a vanishing place.

そしてまたここにたどり着く。

We fight, but I feel safe with you.

 さて、また日々が過ぎ去った。

 その間にいろいろあったが、これだけは書き残して起きたいと思ったので、久しぶりに文章を書くことにする。

 会えば飲んで7割がた喧嘩していた僕たちだが、ここ数年は穏やかだったはずだ。けれど、こないだは久しぶりに言い合いになって、なんなら昔みたいに巻いて逃げ帰った。もう喧嘩はしたくないと、ずっと思っていたのにもかかわらず、そうなってしまうのはなんなんであろうと、自分でもわからないでいた。またしばらくは会わないんだろうな、会うとまた喧嘩になるだろうしなと思っていたら、割りと短期間で向こうから連絡が来た。まぁ、理由はあくまで、その喧嘩になる前に依頼した話を口実にだが、珍しいことであったことは間違いない。

 依頼とは僕の遺影にするイラストを描くこと。

 昨年くらいから、遺影にもなるようにと人に撮影してもらうことを始めた。それは僕にとって面白い試みでこれからも続けようと思っている。老いていくのを残しておくのもいい、そう思ったのもそうだし、今が一番若いんだから、まぁ他人から見えて僕がどう見えているのかも、知っておきたかったからだ。

 が、そうしているうちに気づいたのだ。僕が遺影に掲げるものは、写真ではないな、と。無論、通常の葬式は写真であろう。なんなら、遺影としてではなく、そこらに貼ってもらう分には構わない。でも、僕が死んだときに葬儀をやってもらえるのなら、その祭壇の真ん中にあるのは、僕の顔であるけれど実写じゃなくってもいいはず、だ。

 だからゆえに、来年半世紀を迎えるまえに依頼した。あんまり乗り気には見えなかった。でも、まぁ僕は君に描いてもらったものがいいんだよ、たとえ似てなくても。むしろあまり似せなくていいからと。君の思う僕がそこにあるのがいいから、と。ちゃんと支払いもする“依頼”として。

 で、それにはやっぱり写真撮っておきたいと言われての今回だった。とはいえ、いままでとはなんか違った。というか、過去にも友達に撮ってもらったことはあるんだが、それとはまた違う感じだった。なんだろうこれ? と思ったが、そうか、恥ずかしいのかと気づいた。撮られるのは解って来ていたのに、カッコつけられない相手に、カッコつけられない場所、カッコつけられない状態で撮られてんだと思ったら、なんかもう暑いのもあって、とっとと引き上げたかった。資料だ、趣味だなんだと言って、勝手に撮ってく相手にもういいから飲もうぜ、と声をかけたのは僕だった。

 もちろんこのあと飲んだのだが、喧嘩にならなかった。くだらない話しをして、笑って帰れた。前回なんで喧嘩になったかの理由も僕のなかでハッキリしたし、また平穏に会える気がする(……いやどうだろうか?)。

 遺影の代わりはどうなってあがってくるんだろう。

 それも気になるが、この悪友かつ友達は僕をどんなふうに撮ったのかも気になる。見せてはくれない気はしているが、そして見たら後悔する気もしているが。たぶん、僕の本当の素を撮られている気がするから。

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