A vanishing word, a vanishing place.

そしてまたここにたどり着く。

The best answer is to remain friends.

  有休を取って、久しぶりに海辺まで行った。行ったというか連れてってもらった。僕はやっぱり水辺の生き物なんだなぁというのを、改めて実感した。晴明神社宮司さんが言った言葉は事実だったのだ。水辺にいるほうが活き活きしていられる。本当に。人工浜とはいえ、海に触れられるのは心地よかった。なによりも、8ヶ月ぶりに会う友人……悪友? と一緒なのが嘘みたいで、でも嘘じゃなくて、今思い出しても夢だったんじゃないかとか思うくらいだった。

 もう二度と行くことはないだろうと、なんとなく思っていた一番好きな海辺に、心置きなく居られる相手といるというのは不思議なことだった。しかも、シラフで。そんなことイメージしたこともなかったし、思えば友人の運転する車に乗るのも初めてだった。不安になることのない運転で、僕は心地よくナビで歌ってた。古い外車はちょっとしたメカトラもありつつも、最後まで僕らを心地よく乗せてくれた。いい子だった。

 コロナ禍になって、いや今年初めて、穏やかで、安心して、楽しくて、良い一日だった気がする。いいことだらけだったし、なんだろう……心に悪い感情をほとんど抱かない、ストレスのない稀有な日だった。あまりに出来すぎていて、最後事故って死ぬのかなって思ったりもしたし、無事に戻って日が経った今も、夢だったんじゃないかと思ったりする嘘みたいな一日だった。たぶんホントに死んでても、まぁこれで死ぬなら悪くないなって思って死んでいけるくらい良い一日だった。そう言葉にできるくらい。

 生きてるだけでストレスまみれになる日々に、オアシスみたいな一日だった、ほんとうに。夢じゃなくて、事実で、忘れたくないから、記しておく。素晴らしく夏休みだった。ありがとう。もう少しお互い、生き延びようね。


真心ブラザーズ ENDLESS SUMMER NUDE ap bank fes


ENDLESS SUMMER NUDE

I wish it would snow anyway.

 少し前に楽しく飲んで、呑みすぎて、ちゃんと酔っ払ってしまい、感情のタガが外れて帰宅後にわーっと泣いた。たぶん、きっと、自分が思うよりも僕はイッパイイッパイだったんだろう。思うことを口に出して、ただ泣いたら、少しだけスッキリしたような、しないような。けど、涙が止まるまでは拭かずに泣いて、そして朝方に寝た。その日は、中途覚醒はあったものの、二度寝も三度寝もして、ここ数ヶ月で一番寝た。とはいえ、のべ8時間くらいなので普通の睡眠時間なのだけど。

 人に会う時も最小限にとどめ、手洗い消毒をマメにして、それでも地元で飲んで、後ろめたいような気持ちが隅っこにあるのをアルコールで麻痺させて。手元のマスクの種類は増え続けて、汗かきながら蒸れた呼吸をして、熱中症に気をつけて。積み重なる小さな澱がとうとう溢れたんだと思う。それでも、生きているし、仕事はあるし、生き延びなきゃいけないし。ゲリラ豪雨の後に虹を見上げて、どうすればいいんだろうと思う。どうせなら雪でも降ればいいのにと、二重の虹につぶやく程度には。

 これでもストレスは最小限にとどめようと、苦手なものからは距離を置き、見たくないものは避け、心地よいものだけを傍に、としてきたのだけど。難しいね。インドアの、家から出ないでの、ストレス解消法がうまい具合に見つからない。オンラインライブを見たり、オンラインのイベントに参加したりはしているんだけど、どうもやっぱりちょっと違う。これはこれでいいものだし、楽しんではいるんだけど。

 都内とはいえ、面積的には広く大きな制限なのだから、もう少し外に出てもいいのかもしれない。どうなんだろう? とはいえ、灼熱の魔都東京は休みの日中に外に出る気を失せさせる。もう少し涼しくなったら、都内観光でもしてみようか。いや、行きたい展示や映像はたくさんある。それは消化していこう。この制限下で観るものはやっぱり違うだろうから。今、観るべきものはたくさんある。

 いつまで耐えられるかなぁ、いつか慣れるのかなぁ。ライブで踊って歌いたい、球場で歌って応援したい、プールや海で泳ぎたい、電車や飛行機に乗って遠くに行きたい、なにより何も気にせず好きな人たちと笑って飲んでいたい。

 文字にして吐き出せる欲望くらい、吐き出さないと、ね。
 でも、本当にもうこれが無理だとしたら、僕は大丈夫なんだろうか?



サカナクション / ネイティブダンサー

And then again, I survived.

 なんの起伏もなく、時間と日々だけが過ぎ去っていっている気がする。気がつけば、7月も過ぎて8月だ。先月、また誕生日を迎えた。また生き延びた。誕生日を祝われるのは幼少期にあまりしてもらえなかったせいで、アラフィフになる今でも好きだ。生き延びたご褒美として、祝われるのに甘えていい日だと思っている。今年は人に会えないぶん、たくさんプレゼントをほうぼうから頂いた。有り難い限りである。

 そして誕生日を迎えたことで、ひとつまた意識を変えようと思った。もう一段階上の諦めをつけようと。繋がったと思った糸がまた切れてしまって、そのまま数ヶ月経っていた。けれど、誕生日なら、また連絡が来るんではないかと、期待しないようにしつつも期待していた。けれど、それはやっぱり無かった。また元通りなんだろう。年に1回僕に勇気が出れば、誕生日を祝うメッセージを送る。その関係性に。それでも、待つのを辞めたわけではなく、諦めというのは「元に戻った」という諦めで、そう思わないことで、この断絶で苦しみ続けるのを抜け出そうという、前向きな諦めでありたいと思っている。別に友達をやめたわけではないから。少なくとも、僕の方は。それでも、音に結びついた記憶は、耳に入る音楽によって、辛かったり、悲しかったり、せつなかったりする。そういうのは仕方がない。そうやって折り合いをつけて、また1年生き延びて行くしかないのだ。

 精密検査の結果も、毎度おなじみ経過観察になった。これも折り合い。値が悪くなれば、精密検査。そうしていくしかない。いっそのこと入院とか手術とかなってくれたほうがと思わなくもないけれど、それはそれでしんどいものなので、これも仕方がない。歳を取るっていうのは、仕方がないとうまくつき合っていくことなんだと思う。なんとかそこまでは生きてみようかと思って、デッドラインを変えてからもう体感で随分経った。そのデッドラインはあと数年なんだけど、実際のところはどうなるかはわからない。今の世の中は得体のしれないVirusに侵され、いつ死んでもわからんという状況下に皆が置かれている。楽観視もいい、恐怖に震えるもいい、でも死なない保証はVirusがなくたってないのだ。死ぬまで生きるしかないのだから。もうあとは本当に死に向かうだけの年齢になってきたので、できることならそれがゆるやかであるといいなと思うくらいで、死にたくないとは思わない。ただ、あと1週間くらい生きたいなぁというのを、延長して、延長していくんだろう。追加料金がいくらかは知らないけど。


 飲食店だけじゃなく、好きな場所、行きたかった場所はどんどんと数を減らしていく。無くなってほしくないと願っても、これもどうしようもない流れになってきている。せめて、Virusとは無関係の所で閉館が決まっている、あの陽の光に溢れた場所には、閉館前にもう一度訪れたい。願わくば、その庭が一番似合う人と。望みは薄くとも。

open.spotify.com

Within three months.

 COVID-19の最中、いろいろなことをしたりしなかったりだと思うのだけど、僕はなにをしていたか、というと。地味にダイエットをしている。コロナ過の前から、勝負しようなんて話もあったのだけど、結局ひとりで地味にやっていた。そもストレスのかかる中でダイエットはキツイものだけど、差し引きを考えてやるなら今だなぁと思ったのがきっかけ。あ、あと膝のリハビリで血圧測るようになったらやや高血圧だったのもある。外出自粛によってどう考えても運動不足にはなるだろうし、逆に外出自粛によって飲み歩かなくなると思ったので。結果は正解でした。画像は3月中旬のスタートから1週間前までのグラフで、今はちょっと増えてるんだけど、ざっくり5kgほど落ちている(グラフ表示が3カ月の次が1年で見づらいので)。

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 運動はほとんどしていない。気が向いたらラジオ体操とか、ユウトレの立ちシリーズをするくらい。散歩にも行ってない。主に食事系で地味にやっている。基本的には炭水化物≒糖質制限ダイエットで、米の代わりに千切りキャベツを食べている。けど、まったく食べないんじゃなくて、日に1食はまあ食べてもいいかくらい(けど結果週2~3回くらいしか食べてない)。夜の炭水化物は基本的にNGルール。あと、朝と昼にプロテインを足す。酒は家でもともと飲まないタイプなので、外に行った時だけ(よって6月に入るまでは、ほぼ飲まなかった。alcohol自動車の僕が、だ)。

 例えば最近の3食のメニューを書きだしてみると……。
・朝食
 ザバスプロテイン ウェイトダウン チョコレート風味
 イージーファイバー
 ダノンビオ 脂肪0プレーン・加糖
 アイスカフェオレ
・昼食
 ザバスプロテイン ウェイトダウン チョコレート風味
 千切りキャベツ(半袋)
 トマト(1個)
 目玉焼き
 ウィニー(4本)
 ケチャップ
・間食
 チョコレート効果 85% (小分け袋1つ)
 アイスカフェオレ
・夕食
 肉野菜炒め(半人前)
 ぶりかま(半人前)
 ひきわり納豆(パック)
 ……とこういう感じ。
 炭水化物を1食もとらないと、だいたい1100~1300kcal、1食とると1300~1500kcal。外で飲むとさらに+500kcal前後されるイメージ。

 これをめんどくさくない範囲でカロママに記載しては、ママに怒られる日々をしている。ちなみにカロママのママは酒にとても厳しいので、発泡酒でも350mm缶を1本までしか許してくれない。飲むと決めた日にそんな量ですむわけはないので、たいがい怒られる。週に1日も飲まないのにね。あと甘いものが苦手な僕はママに毎日、毎日、果物が足りてませんと怒られる。果糖って太るんじゃないのか? この3カ月半、毎日怒られているせいか、酔っぱらってコンビニで1本売りのバナナを買ったらしく、朝起きて冷蔵庫にバナナが居て笑ってしまった。

 3カ月半で5kgというのはペースがゆるやかだなぁと、16年前にがっつりダイエットしたときにくらべると思うのだけど、運動してないんだからこんなもんでしょう。そう、歩数でいうと500歩もいかない日がほとんどなのだ。買い物に出たって3000歩くらい。ホントに運動していないのである。通勤してた時は5000~7000歩平均だったのでエライ違いようだ。なんでそこまで運動しないかというと、したくないわけではなくて。食事制限に慣れたあと、リングフィットアドべンチャーと本体をやっとこさ手に入れて、よっしゃいっちょやったるか! と思ったら、ちょっとした病気になってしまって、精密検査行きになってしまったのでした。結果はまだ出てないのだけど、痛み止めを飲み続ける日々がしんどいので、なんとかならんかなぁとは思っている。しかし、僕の身体が精密検査まで行って、ハッキリと病名が出たことが一度もないので、またそうなんだろうなあと思っている。めんどい。

 でもまぁこのままゆるゆると食餌療法みたいのはやっていくつもりです。運動できるようになったらあと-5kgくらいしたい。とはいえ10kg以上痩せるのは、またアキレス腱切そうで怖いからやらないかも。運動できるようになったら体重よりも体脂肪率かいねぇ。まだ脂肪ぷよぷよ君なので。

 


打首獄門同好会「糖質制限ダイエットやってみた」

See you at the new location.

 緊急事態宣言が解除されて、東京アラートも解除されて、その期間にどんどん利用した店、見知った店が消えていっている。そんな中、コロナとは関係ない理由で知人(友人でもいいんだけどなんか気恥ずかしいので)の店が6月で閉店するというのが入ってきたのが、4月の頭。そのまま自粛休業を続け、そして6月の第2週の一週間、店を開けてそして閉めるという、最後の一週間。

 ニュースでは毎日、夜の街、夜の街と言われる新宿エリア。そこに店はある。正直、悩んだ。けど、僕は行った。小さな店は密にならざる得ない、下手すると入れないかもしれない、けど行くべきだと思った。久しぶりの新宿区。夜の街クラスタと言われていたのは歌舞伎町界隈だけだったらしく、店のある御苑方面や新宿南口、帰りに通った新宿通りも地下道も全然人がいなかった。終電もはるか前なのに、始発前に駅に向かうときよりも人の居ない新宿に驚いた(それから数日後、靖国通りをタクシーで通ったら確かに歌舞伎町には人がかなり居た。あまりの人通りの違いに驚いた)。

 その日、出かける前に友人に軽い感じで夜の街に行ってくると伝えたら、どうも罵倒を飲み込ませてしまったらしい。らしい、というのは既読スルーだったのでそれに突っ込んだら、ブラックな返ししか思いつかなかったからと。ちょっと浅はかだったな、と反省した。無闇に遊び歩いているつもりではないが、それをよしとしないのは間違いじゃないし。飲み込んでくれたけれども、罵倒されててもやっぱり伝えるのは浅はかだったと反省しただろう(ちなみに誤解がないように言うと、罵倒と書いているが叱責くらいです、本当に友人に言われたとしても)。いくら街に人が少なかろうと、僕が無症状感染をしていないという保証はない。じっと家で耐えることのほうが正しい、とまでは言わないけど、そのほうが答えがない解答としての行動として正解に近い。そう思う。それでも僕は行くことを選んだのだから、こういうこともあるというのを、失念してただけだ。友人は優しいので、飲み込んでくれて、かつ伝えてくれたのだ。たとえ、しばらくその友人が僕に会うのを拒否したところで、責める気にもならない。当然だ。その選択をしたのは僕だし、不用意に伝えたのは僕なのだ。

 さておき、店は盛況であった。久しぶりの面々を眺め、本当に懐かしい再会もあり、また新店舗でと笑って手を降ったりした。閉店のままにせず、移転再始動を決めてくれた店主のおかげで、笑って別れられる。でも、この場所で、この空気感で、は、もう最後なのだと寂しくもなった。寂しくなりに来たわけじゃないけど、どうにもしょうがない。拠点が、場所が変わるというのは、そういうものなのだ。1階も2階も写真を撮った、いろいろな場面で利用させてもらったし、お世話になった。店主以外の歴代のスタッフも今週は日替わりでいる。友人になったスタッフも、友人がスタッフになったこともある。その時々で、覚えてたり覚えてなかったりの空気感がある。もちろんいいことばかりでもないけれど、それもこれもきっとまたこの写真を見返す頃にはいい思い出であろうとも思う。14年間、ありがとうという気持ちしか今はない。本当に16周年まではここは存在すると思い込んでいた。それだけは残念だけど、新店舗を楽しみに楽しい夜をありがとうと言うしか無い。そう、幸いなことに新店舗移転が決まっているのだ、それは本当に喜ばしいことだ。今の場所にはもう二度と行けないけれど、新しい場がある。いろんな店が閉店して、二度と行けなくなる、場もなくなるなか、本当にありがたい。そしてその店で、また会ってくれる人がいるって嬉しいなって、本当に思った。行って良かった。

 ちなみに、店はクラウドファンディングを開始していて、あちこちで既に書かれているが支援によって読むことができる『新店舗建設日記』という、閉店に至る経緯と新店舗開店までのリアルタイムブログが非常におもしろい。オーナーが変わって家賃が3倍だけでもびっくりしたけど、その詳細が本当にえらいこっちゃである。クラウドファンディングはまだ期間があるのでよかったら。よい店です、きっと新店舗も。

camp-fire.jp
 知人の店は多分このコロナ禍の中、珍しいパターンだと思う。飲食もそうだが、ライブハウスの新しい日常はもはやライブハウスという存在の意味を変えるが如くの発表だった。無論、Beforeコロナでも無言で見るライブもあったし、行っていた。けど、すべての場所で踊るな、くっつくな、歌うな、黙ってろ、という新しい様式は、どうにも僕には合わない。静謐なコンサートもいいが、踊って、歌って、拍手して、はいつか戻ることがあるんだろうか。まだまだ先は見えないし、その間にもいろいろな場所や店が減ってしまうんだろう。CAMPFIREには、そういうクラウドファンディングはたくさんあった。達成しているのは、本当にごく一部、なのだ。


片想い「踊る理由」




This Must Be The Place

 2ヶ月半ぶりに髪の毛を切って、染めた。正確には、切って、抜いて、染めた。ちょっと前から、もう白髪染めがなんとなく嫌になっていっそのことなら抜いて=ブリーチしてやろうと、全頭ブリーチマンなのである。無論、金髪は似合わないので、その後染めて、銀髪に近い色。思いの外しっくり来ていて、気に入っている。
 ただそれには1~2回のブリーチが必要で、この歳で髪の毛が2回ブリーチに耐えられるのか最初は心配されたが、アラフィフになろうと僕の形状記憶合金並の直毛くんは元気で、思い起こせば20代の頃は全頭ブリーチからの髪の毛真っ赤だったじゃんなぁと思い起こすに充分な強さを発揮している。いいんだか、わるいんだか。
 ちなみに僕の髪型は9割が美容師の意思で、1割が僕の意見で決まっている。僕がなんか言うのは前髪どれくらいにするかくらい。そんな関係性で20年くらい同じところに通っているので、またも方向性は美容師によって決定され、今年はロン毛だそうな。まぁ、自粛期間(?)でえらい延びてたせいもある、ツーブロック終了したしな。夏を乗り切れれば、ロン毛であるが、乗り切れる自信はないです。最後にロン毛だったのは、いつだろうかと記録をたどったら、2014年の秋が最後だった、意外に最近じゃん……。まぁ、うざくなったら切ってしまうタイプなので本当にロン毛になれるのか。そも銀髪ロン毛のアラフィフってどうなのさっていうのはさておきな。

 美容院に行くってことで久々に区外に出たんだけど。なんつーかマスクしてる人は多いけど、人手はいつもどおりの感じで、東京アラートとかあんまり関係ない感じだった。そういう僕だって、区外に出たわけだし。外に長く出ていたのも久々だったので、油断して日に焼けてしまったようで、いま顔がめっちゃかゆいです。陽の光に弱いポケモンです。どうなっていくのかね、全然先が見えないね。

 前の会社で仲良くなった友人が怪我をして、僕がアキレス腱切ったとき入院手術した病院で、同じ執刀医(もちろん出世してた)で今日、手術だった。無事に終わってなにより。アキレス腱切ってからどれくらい経つんだっけと、閉鎖したはてなダイアリーを眺めると2004年の8月。ワーオ、16年ですか。そんなに経っても、まだアキレス腱固くて、たまに痛むので困りますね。去年は右膝の皿にヒビ入ったし、右足ばっかり痛めるな、と思ったり。ラジバンダリ。

 まとまりのない日記を書いて今日はおしまい。というか、はてなダイアリーの頃はこんなようなことしか書いてなかったので、いいんです。髪型も義兄弟が褒めてくれたので、よしとしよう。


Kimonos - This Must Be The Place

I Wish You Were Here

ここ2日くらい、文章を書いては消していた。いわゆる真っ黒な文章になってしまって、人に見せるものではないと消した。でも、書いてみる、という行為にはやっぱりなにかしらの作用があると思っているので、消してしまった文章もやはり意味があったと思う。書かれることに、書くことに。自分にとってあらゆるストレス解消が封じられている以上、文章を書くことでなにかを発散しているのかもしれない。それが真っ黒な呪詛のような言葉だからゆえに。

ストレス解消を封じられているということは、ストレスが溜まり続けているわけで、結果として体調不良にも陥っている。野球場に行くことも、ライブで生音に身を委ねることも、劇場で浸ることも、美術館や博物館の空間を漂うことも、海辺で風を浴びることも、外で夜な夜な飲むことも、封じられてしまっているのだから。家の中で本や漫画という世界に潜ることはできる、だけど、それだけじゃ解消されないものってやっぱりあるなと今回解った。インドアタイプだとは思ってたけど、どうもそこまでではなかったらしい。外に出ることは大切なことだった、少なくとも僕にとっては。

緊急事態宣言とやらが解除され、新しい日常だか習慣だかが始まった。飲み屋も22時までオープンになり、来週にはそこまでイリーガルな気分じゃなく呑みにも行けるだろう。でも、いままでそうやって会って来た人たちが同じだとは限らないことも、ちゃんと理解している。ゆえに誘いにくい。だから、僕は敢えてここでおおっぴらにしようと思う。県外移動じゃない呑みは、いつでも誘ってください。そして、僕も臆病に誘うと思うので、ダメなときはダメって言ってください。これもきっと新しい日常。新たな付き合い方なんだって解っているので。断られても嫌な気分になんかならないから。

なにが言いたいかっていうと、人に会いたいねって、だけのハナシ。

人に自由に会えないことは、ものすごいストレス。
無論、都合とかタイミングを除いてね。
それがたぶん、僕を弱らせている気がする。


King Crimson - Heroes (Live in Berlin 2016)

Wish you were here(Pink Floyd)貼ると思った? 残念でした。